2010年04月15日
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世田谷区役所は当初滝坂道沿いにあった・他

Written By: 川俣 晶連絡先

 世田谷の中央図書館に行ってきました。

その1 §

 Alice堂さんよりのメッセージです。(抜粋)

 滝坂道を走る,昭和12年当時のかつてのバス路線とし

て,大坂上→世田谷区役所前→宮ノ坂(旧)→経堂→恵泉女学院を挙げておられましたが,滝坂道を走るバスが世田谷区役所を通るというのが腑に落ちませんでした。

 世田谷区役所は,小学生の頃,付属する区民会館に,小学校の行事として,または個人的に,劇などを観にいっておなじみでしたが,滝坂道からは結構外れています。まあ,バスが滝坂道をそれて,主要施設である区役所に立ち寄ったのかとも思っていました。

 しかし当時の地図を見ると,区役所は正に滝坂道沿いに記載されており,その後現在地に移転したという事の様に思えます。移転したという記事をネットで探していますが,まだ見つかりません。「区役所は移転した」で正解なんでしょうかねえ?

 はい。確かに区役所移転の話はどこかで見たことがあると思って調べてみました。

 見た資料とは違いますが、最初に見つけたものをコピーしてきました。

 「世田谷区史 下巻 昭和26年3月30日発行」より

区役所は若林町六二三番地にあり、昭和三年八万余円の工費と約一ヶ年の日数を経て建築されたもの、……(中略)……、これを大正元年頃、現在の区役所前、笠原小学校(現若林小学校)の横に、……(中略)……、転だ感慨禁じ得ぬものがあつた

 ちょっと年号が良く分かりませんが、おおむね滝坂道と環七が交わるあたりと思って良いのだろうと思います。ちなみに、古い地図ではここに町村役所らしいマークが入っています。(簡単な地図も入っていました)

 ただし、環七がない時代の地図なので、正確な位置は良く分かりません。あくまでおおまかなポイントです。

その2 §

 松原宿が南過ぎる理由が分かりました。

 「世田谷旧村古名地名集 昭和59年3月10日発行」の冒頭の地図を見て納得しました。つまり、松原宿は、松原の飛び地です。松原はもっと北の地名であり、宿だけ飛んでいたわけです。(他にもいくつか飛び地があり、珍しくはなかったらしい)

その3 §

 経堂ですが、「世田谷の地名 昭和59年3月10日発行」によると、地名の由来は説として3つあり、経堂在家と言ったときの「在家」は「何処をまたは何を基準としての在家なのかを説明したものは見当たらない」だそうです。残念。

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